本エントリーについて
本エントリーは、青山 繁晴氏が2024年に扶桑社から出版した「反回想 ――わたしの接したもうひとりの安倍総理――」(第1刷をもとに作成されたKindle版)の感想・書評である。
これはAmazonのレビュー欄に書いたものだったのだが、レビュー欄だと埋もれてしまったり、Amazonのレビュー欄にしては長文であったため、読まれない可能性を考え、ブログ媒体にも転記・掲載しようと思った次第である。
なお、書いてある内容は私がAmazonのレビュー欄にて著したものと同一の内容である。
このエントリー(レビュー)は、いささかアカデミックさを欠く内容であり、また筆者自身(私自身)、著者たる青山氏の他の著作は拝読していないため、アカデミックな本来の「書評」とは呼べないと思う(かろうじて「感想」とは言えるだろうか)が、そこはどうか「感想」ということで、ご容赦いただきたい。
(ここまで長くレビューを書いた動機のひとつに、著者がブログにて書評が無いと憤っていた様子を目にしたことがある。また、著者はブログにて他氏がフェイスブックに投稿していた感想を書評と呼んでいたため、本エントリーにも一応書評と銘打たせていただいた)
以下、転記したレビュー(感想、書評)である。
- 感想・書評 -
「反回想」ではなく「『半』回想」か?
読了した感想として、本書は自伝的なエッセイと故・安倍晋三氏と著者の思い出回想録を足して2で割ったような内容である。タイトルは「反回想」とあるが、「半回想」というが適切で、回想半分・自己主張半分といった様子だ。さらに安倍氏に関しては半回想+半空想である。
著者のファンであったり、クリティカルに読むことができる人以外には、正直オススメできない。
私はタイトルや著者による宣伝文句から、安倍氏や安倍政権に関する新たな情報や視座が示されているのではないか、と手に取ったのだが、内容は著者が2024年自民党総裁選に出馬(結果的に出馬できなかったわけだが)にあたっての、そこに至る経緯や理由、公約といった話が主であった。
そして肝心の安倍氏に関しての記述は、著者の主観的な「思い出話」が、著者の主張の合間合間に差し込んであるに過ぎなかった。また、当然だが、安倍氏との回想に関しては根拠が示されているわけでもなく、加えてこれは著者が自ら喧伝していることでもあるが、著者は記者時代からメモを取る人物ではない(著者曰く、著者は記憶力が良く、メモを取らずに話を聞いて、後にメモへ記録しているらしい)ことからも、客観的に見て真実味は薄いと言わざるを得ない。
そのため、安倍氏に関して新たな情報や確かな情報を得る目的で本書を買おうとしているのであれば、その点に留意する必要があるだろう。
一方で読み物としては読みやすく、流石はフィクション作品も手がける著者の手腕であると感じた。
読み物としては読みやすいが、約2000円と安くないため、紛らわしいタイトルやその内容、やたらと肯定的な多くのレビュー(中には本書と関係のないレビューも散見され、放置されている・・・)には注意が必要であるように思う。正直、私はガッカリさせられた。
(追記)
著者のブログを見たところ、書評がないと憤っていたので、レビュー欄ではあるが折角なので少し書評チックなレビューを加筆しようと思う。
まず、率直にタイトルが紛らわしいように思う。内容としては、安倍氏との思い出話が多めな著者の自伝・自己主張(政策主張)本であるのだから、このタイトルではまるで安倍氏が主役のように思えてならない。著者は既存メディアに扱ってもらえないと文中でも嘆いているが、少なくとも本書においては、このタイトルでこの内容の本をどのように紹介すれば良いのか、流石に難題であると言えるのではないだろうか(もっとも、私自身もメディアの偏向っぷりには賛意するところではあるが)。
次に、著者が安倍氏から切望されて政治家になったという経緯は理解するが、だからといって、今は亡き安倍氏や故人まで用いて自身を持ち上げようとする著述はいかがなものだろうかと思わずにはいられない。著者は本書で世襲政治を批判しているが、その反面、上手い書き方で自身は亡き安倍氏らの威を借りる、あるいは安倍氏から日本を託されたのだと言っているように見える(260ページあたりなど)。
これは世襲議員が親の七光りにあやかっているのと何が違うのだろうか。
先にも少し書いたが、(私はKindleで買ったのでページ数がズレているかもしれないが)272~273ページで著者は自身が他人と話しをする時(取材をする時)にはメモを取らず、後からメモに書き、それをもとに書籍等を執筆しているといった旨を主張し、「したがって前述の安倍さんの言葉についても『一字一句、言葉の通り』と述べたのです。」と述べている(この文脈からして記憶自慢ということ以外なら「したがって」の意味が通らないが)。
その直後、少し別の文脈ではあるが「わたしはそれを記憶しようとして、とても記憶しきれないので、あとになって安倍さんに『あの紙をください』とストレートにお願いしました。」と記述している。紙面の都合で全文を引用できないが、この矛盾した記述だけでも不信に思えるように、本書での回想はどこまで真実で、どこまで(人間が無意識に改竄しているものも含めて)脚色されたものなのか、分からない。
そして、些末な部分なのかもしれないが、加戸守行氏に関する記述で、あたかも加戸氏が国会で述べたとされている内容は直接的に(実際に)国会で述べた内容ではないように思う。確かに加戸氏が主張していたこととしては間違っていないが、ノンフィクションを謳っているのなら少々マズいように思う。
最後に、上記したような内容を問題なく、あるいはクリティカルに読むことができる人ならば本書を手に取ってみても良いだろう。しかし、著者のブログやユーチューブなどを覗いてみたところ、本書はそれらの加筆補足版といった内容というに留まり、やはり広く大衆にはオススメしないし、著者がインターネット上で発信している内容で十分という評価に着地した。それこそ、他のレビューにもあるように、著者を応援する目的で購入するには良いかもしれないが、それだと献金やパーティと何が違うのか、とも思えてくる。
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以上、お読みいただきありがとうございました。
購入検討時にでも参考になれば幸いです。
無記名
文 献
青山 繫晴 (2024). 反回想 ――わたしの接したもうひとりの安倍総理―― 扶桑社
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